Behind the scene

映画とか音楽とか本にかんして。ブログ名はptpのアルバムから。

All Musics Are Equal――But Some Musics Are More Equal Than Others

 ロックバンド「AA=」という集団がいます。厳密には上田剛志というミュージシャンのソロプロジェクトにあたります(多くのミュージシャンやバンドとフューチャリングしているので上のように表現しました)。また,ロックの中でもハードコア/パンク/テクノなどに属する音楽を主につくっています。しかし、こうした細かい話やジャンル論はおいておいて、とにかく聞いてみましょう。

『ALL ANIMALS ARE EQUAL』

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 このバンド名の由来はジョージ・オーウェル著『動物農場』の一節である「All Animals are Equal」です。今聞いていただいた曲も同名ですので元ネタは同じでしょう。ジョージ・オーウェルは1940年代にいくつかの有名なディストピア小説を著しており、上の作品もその一例です。また、この作家は『1984年』という全体主義社会が徹底されたディストピアを描いたことでも有名です。これらの作品はともに「SF的想像力」に支えられた本といえます。(前者に関してはSF小説とみなす人は少ないでしょうが、SF的な発想に支えられていることは確かです。)

 AA=は他にも『divide~プレイングカードは分離壁の夢を見るか?~』という曲もつくっていて、これはF・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が元ネタになっています(こちらはよくネタにされているので今さら珍しくもないですが)。

 

 さて、私は音楽に「SF的想像力」を持ち込むことを非常に重要視します。月を歌った歌、星を歌った歌は無数に存在します。それは確かです。しかし、今だからこそ、こうした歌を歌うことが重要だと考えます。どういうことでしょうか?

 まず先に「SF的想像力」について考えましょう。もちろんSFといっても、スペースオペラニューウェーブサイバーパンクなど多岐にわたります。こうした多くのサブジャンルを貫く、SFにおいて重要な概念は「ここではないどこか」を想像することです。SFの歴史は「ここではないどこか」の想像(創造)の歴史です。具体的に上のサブジャンルを用いて考えてみます。初期のSFの多くは宇宙を舞台とした冒険活劇で「スペースオペラ」とよばれるものです。これらの作品群は私たちが今住んでいる地球(=ここ)ではない場所として宇宙(アウタースペース)を用意します。これが60年代~70年代にかけて宇宙産業の進展にともない、明確な外として機能しなくなります。そこでSF作家たちは新たに内宇宙(インナースペース)とよばれるものを用意します。内宇宙とは、つまりは人間の心(内面性、主体性)をさす言葉で、こうした問題を扱うジャンルを「ニューウェーブ」とよびます。そしてこれが80年代に入ると「外」でも「内」でもない新たな空間として、「サイバースペース」が現れます。これはもちろんインターネットの発達と関係しており、こうした着想から広がる作品群は「サイバーパンク」と呼ばれます。この後にも上記のような歴史を意識しつつ、再度外宇宙を目指す「ネオ・スペースオペラ」などが誕生していきます。

 このように宇宙や未来、内面性や主体性、インターネットや拡張現実といった、私たちのいる「ここ」とはことなるスペースを想像することでSFは発展してきました(詳しくは東浩紀著『ゲンロン0』の6章などを参照するとよいかと思います)。「ここではないどこか」を今ここから想像すること。こうした「想像力」は必ずしもSFでしか見られないわけではありません。しかし、近代以降におけるこうした想像力(ひいてはそれが可能にする世界)を原理的に考えようとする際にSF小説はとても便利な武器になるでしょう。

 

 では、「SF的想像力」を音楽に持ち込むとはどういうことなのでしょうか?この問いに答えるために批評家である佐々木敦の著作『ニッポンの音楽』を参照します。内容に細かく触れると長いので省きますが、ニッポンのポップミュージックをいくつかに区分して、その歴史を整理した名著です。この著作の最終節で以下のような主張がなされています。

 

 聞いたことのない音楽、言い換えれば、それは「未知の音楽」です。更に言い換えれば、それは「外の音楽」です。空間的な「外」、時間的な「外」。ここまで語ってきたように、「ニッポンの音楽」の物語=歴史の主人公たちは、それぞれの時代に、それぞれの仕方で、日本の「内」にありながら、「外」を志向してきました。」

(『ニッポンの音楽』、p.278)

 

 要は、素朴にはアメリカの音楽の影響を受ける、一昔前の音楽の影響を受けるということです。もう少し踏み込むと、こうした外を想像すること,この想像力を育む土壌が日本の音楽をささえてきたということです。そして、佐々木さんがそこで問題にしているのは、インターネットの発達によってまさに「外」が失われてしまったことです。我々は今やネットを通じてあらゆる地域、時代の音楽をかんたんに聞くことができます。いや、それだけではありません。実際にその時代についてつぶさに調べること、その地域を訪れることすらできるようになってしまいました。こうしたインターネット時代、グローバル時代にいきる私たちは外を新たに創りだす必要があります。外を足がかりにして想像力=創造力を問い直す必要があるのです。 

 さて、ここまで説明すれば話はスムーズです。「外」とは「SF的想像力」になぞらえていえば「ここではないどこか」にあたります。SF的想像力を元に音楽をつくること。それはまだ見ぬ外(=「ここではないどこか」)を想像して音楽をつくることに他なりません。SF的想像力は科学が発達した現代に残されたほとんど最後の音楽的想像力を刺激するものでしょう。例えば、松任谷由実の最新アルバム『宇宙図書館』は、私見では彼女の過去のアルバムの中でもトップクラスの完成度です。これはアルバム名からも分かる通り宇宙を歌った歌です。宇宙の図書館、我々にとっては未知の宇宙をこそ記述する図書館を彼女は想像したわけです。

『宇宙図書館』

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 また、The BONEZというロックバンドの2ndアルバムにあたる『Astronaut』は「”宇宙から地球を見ている”っていうことをリリックの1番のコンセプトにして」いると語られています(The BONEZ | 激ロック インタビュー)。このグループは私が現在最も注目しているバンドのひとつです。下に紹介したものはそのアルバムの1曲目に収録されている『Thread & Needle』です。最初の力強いドラムからもたらされるグルーブは最高です。(しかしZAX(ドラマー)の手、あまりにも複雑かつ早く動いていていて驚きます。人間にあんな動きができるのか・・・)

『Thread & Needle』

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 このように、私が最近感動した曲の少なからずがSF的想像力を起点としたものです。こうした中でSF的想像力を持つアーティストの生存戦略がどのように展開していくか……観測者は私くらいのものでしょうが、見届けていきたいですね。

 

 

 最後に補足としてサイバースペースの音楽について触れてみます。これは付論というか試論のようなものです。おまけと思って気楽に読んでいただけると幸いです。

 さて、上でSFの歴史を大まかにですがまとめました。これを踏まえてこれまで紹介した音楽をもう一度対応させると、松任谷由実の『宇宙図書館』やThe BONEZの『Astronaut』はスペースオペラに、AA=の音楽はニューウェーブに対応していると考えられます(他にもスペースオペラならAimerの2ndアルバムの『Midnight Sun』などが、ニューウェーブならamazarashiや電気グルーブなどがあげられます。そもそも電気グルーブセカンドサマーオブラブとよばれる運動の影響を多大にうけ、まさに「ニューウェーブ」とよばれる音楽ジャンルに属するミュージシャンです。一応の注意としましてSFの「ニューウェーブ」と音楽の「ニューウェーブ」は、その受け入れられ方や流行する年代に若干のずれがあると思われます)。それでは、サイバーパンクに対応する音楽はあるのでしょうか?

 サイバーパンクに対応する音楽、つまりはサイバースペースから発せられる音楽。その日本における代表的なものとして「ボーカロイド」があげられるでしょう。ボーカロイドとはヤマハが開発した音声合成技術、及びその応用製品の総称で、2000年代後半から2010年代初頭にかけて主にオタク文化に対して大きな影響を与えました。まぁ言葉で説明するよりも直接見てもらう方が分かりやすいかと思います。

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 このような感じで、とても人間に歌えない高速の曲や高音域の曲を歌わせることができる(実際には「歌ってみた」などで歌っている人もいますが)とともに、初音ミク巡音ルカといったキャラクターをMMD(「みくみくだんす」の略)という3DCGムービー作製ツールを使って動かすことができます。これは工学的技術の発展によって、サイバースペースにあらわれた新たな人として捉えることができるかもしれません。このボーカロイドは2017年の現在でもオタクの一定層には聞かれているようですが、少なくとも2000年代ほどの影響力はないでしょう。

 では、なぜボーカロイドは聞かれなくなったのでしょうか?この問いに対する情報社会論的な整理からのヒントを、東浩紀の『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』や『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』、最近では『ゲンロン0』などを参考に得たいと思います。ここではもっとも新しく、またもっとも平易にまとめられている『ゲンロン0』の第6章『不気味なもの』を中心に参照します。(実際に参照元をあたる際は『ゲンロン0』→『動物化するポストモダン』→『ゲーム的リアリズムの誕生』→『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』の順が良いかと思います。また同氏の小説『クォンタムファミリーズ』も参考になるかと思います。)

 東はサイバースペースを理解するために「分身(分人)」と「不気味なもの」という概念の対立を導入します。これらの概念を理解するにあたって、サイバースペース(インターネット)上のアバター(アカウント)の例(とくにSNSのアカウントの特性に言及したもの)がわかりやすいでしょう。以下に引用します。

 

 現代のSNSのユーザーは(とくに日本では)、しばしば「本アカ」と「裏アカ」を使い分ける。[・・・・・・]本アカは現実の僕たちが運営し、裏アカは電子的な分身が運営している。([ゲンロン0』、p.243)

 

 ここで分身という概念において重要なポイントは本アカと裏アカの区別がはっきりしていることです。しかし、このようなはっきりとした区別、つまり「本アカと裏アカの区別はしばしば失効」します(ゲンロン0、p.244)。そしてそこには「不気味なもの」が現れるというわけです。どういうことでしょうか?

 この「不気味なもの」は精神分析で用いられる概念で、フロイトが提唱しました。例としてあたかも生を持つかのような人形、ドッペルゲンガー、幽霊、同じものの反復などがあげられ、その本質は古くからなじみのもの、よく見知ったものが突然疎遠なものになることです。上の例で言えば、本アカと裏アカの区別、本人とキャラクターの区別、現実と虚構の区別が突然あいまいになり、本アカの中に裏アカがまぎれこみ不気味なものとしてゆがみを与えていくというわけです。東は情報社会を理解するに当たって鍵になるのは分身ではなく不気味なものであると考えます。

 そしてボーカロイドとは分身に対応する音楽だと考えられます。ボカロPボーカロイドを使って作曲をおこなうサウンド・クリエイターの総称)は現実の自身とは区別されるアイドル、例えば初音ミクを通してサイバースペースで歌います。しかし、ボカロPという主体は分身のように現実から切り離されたわけではなく、むしろ不気味なものとして現実の自身にとりつきます。そのゆがみに対して意識的にも本能的にも無自覚だったこと。それがボーカロイドの衰退の理由ではないだろうか。では、不気味なものに対応する音楽とは何か?

 さてここで前半の鍵概念である[外」を導入した佐々木敦の『ニッポンの音楽』をもう一度読んでみましょう。そこではまさにボーカロイドから「不気味の谷」という概念を通してPerfume(さらにそこから中田ヤスタカへ)にいたる議論がなされています(『ニッポンの音楽』、p.259より)Perfumeとは2000年から活動している3人組のテクノポップユニットで、その特徴として楽曲における声の加工と、メディアアーティスト集団「ライゾマティクス」などによる演出があげられます。Perfumeの不気味さはまさにこの声の加工と演出(=場の加工)にあります。一方でよく見知った人間の身体から加工された機械音のような声が、他方で現実の空間にサイバースペースもかくやといった虚構のような空間の重ね合わせが、私たちに不気味なものに取り憑かれる経験をあたえてくれます。(他にもPerfumeは演出にあわせるために、わざと機械的な動きをし、また無表情で歌います。これも不気味なものの経験の契機になっているでしょう)不気味なものの経験、それは現実と虚構の境界、私とキャラクターの境界があいまいになる経験です。そこでは私たちは再度慣れしたしんだものへの問い直しをおこなわなければならないでしょう。そこで私たちは驚くほどあいまいでふわふわとしたモノに囲まれていることにやっと気づくことになるでしょう。

 分身としてのボーカロイドという経験。不気味なものとしてのPerfumeという経験。サイバースペースの音楽とサイバースペースが現実へ侵食した音楽。サイバーパンクに対応する音楽とはサイバースペースでも現実の空間でもなく、実はその間。わずかなスキマにこそ存在していました。

Perfume」のライブ映像。主に1曲目に注目してください。

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 以下は完全に蛇足です。

 ロックには「スペースロック」というジャンルがあります。ピンク・フロイドなどが有名で、サイケデリックロックなどに影響を受け、エコーなどを使った空間的で幻想的なサウンドが特徴です。プログレッシブロックの中でも宇宙(=スペース)などを歌詞の題材としたSF的なものを形容して使われたのが起源といわれています。まさにSF的想像力を原点においた音楽ジャンルですが、日本においてはほとんど知られておらず、また担い手も存在しないこと、それと著者の実力不足で論を展開することができませんでした。興味のある方はぜひ調べてみてください。

 それと、主に付論で参照した東浩紀さんは渋谷慶一郎さん電子音楽アーティスト)と一緒にまさにボーカロイド初音ミクを使って作曲をおこなっています。すでに言ったとおり、私はボーカロイドについて決して明るいわけではないですが、この曲は大変好きです。分身と不気味なものを用いてサイバースペースという概念を乗り越えようとした方が、まさにボーカロイドで曲を作ったというのも興味深いですね。

『イニシエーション』

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